古代(最初)のお金とその歴史。〜古代メソポタミアの債権トークンからローマのプロパガンダ硬貨まで〜
「お金はどのようにして生まれたのか?」というのは、金融や仮想通貨に興味のある方なら一度は考えたことのある疑問かもしれません。
「物々交換を効率化するためにコイン(お金)が誕生した」という説を耳にしたことのある人は多いかもしれませんが、実は文化人類学的な研究の結果から、現時点では物々交換経済の存在は否定されています。
では、誰が何の目的で、どんなお金を最初に使い始めたのでしょうか?また、どのようにして古いお金は形を変え、現在の不換紙幣にまで発展していったのでしょう?
最初のお金は家畜や穀物?
紀元前9,000年頃、それまで狩猟採集型の獲得経済で生活を行ってきた人類は、西アジアから東地中海辺りでついに農耕牧畜を主とする生産経済を開始し、畜牛などの家畜を通貨として使い出したという説があります。
畜牛は、古代から革・乳・肉のための家畜としてだけでなく、農耕の道具や宗教的な生贄として使用されていました。A History of Moneyの著者であるGlyn Davies氏によれば、畜牛は人類にとって最古の固定資産であり、通貨として利用されていた可能性が高いといいます。(*参照1, 参照2)
ロシアのキルギス人は、今世紀に至ってもまだ馬と羊を貨幣単位として扱っていることからも、貨幣としての家畜の利用可能性はある程度納得がいきます。
*牛が描かれているは古代のコインは沢山あります。当時の為政者は、IOUではありませんが人々が鋳造した貨幣の価値を信用できるよう、牛の絵柄を用いていたのかもしれません。
*Davies氏は、畜牛の英語であるCattleの語源は「Capital(資本)」と共通しているとも述べています。
そして、同時期に農耕の主軸生産物だった麦などの穀物やその他作物も、家畜と同様に貨幣的に扱われていた可能性もあると言われています。
ただし、この頃の人類はまだ文字を発明していないので、家畜が貨幣として扱われていたことを100%確定づける証拠(文書など)は残っていません。
仮にそうだったとしても、家畜や穀物がどの程度現在の「お金」に近しいレベルでお金として使われていたかどうかも不明です。
“お金”とは何かという定義の問題でもありますが、頻繁に何かの支払い手段として頻繁に利用されていない限りはお金とは言い切れない、という見方もあるでしょう。
メソピタミアの債権トークンと粘土板
ハンムラビ法典で有名な古代メソポタミアでは、紀元前約8,000年頃から、下図のようなトークンがいくつかの用途で利用されていたことが分かっています。
トークンの用途①は、債権の証明です。農家が麦を借りる時、牧夫が家畜を借り入れる時、債権の証明として貸し手はトークンを粘土でできた封球に密封し、借り手ごとにそれらの封球を管理していたといいます。
トークンの用途②は、寺院が官僚や聖職者、農夫などの労働者に対する食糧配給(賃金の支払い)を管理するために、トークンを用いていたという説です。
トークンの用途は財務・会計にあったということですね。様々なタイプの資産やケースにおける財務・会計処理に対応するために、やがてトークンの模様や形は多様化していきました。
しかし、債権を確認する際にいちいち封球を壊すのが面倒だったため、やがて封球の外側にトークンを貼り付けるorその跡を残しておく方法が主流になり、封球はただの粘土板になりました。
そして時間が経つにつれ。粘土板にはトークンではなくトークンの絵が刻まれるようになったのですが、これこそがあの「楔形文字」誕生の経緯だといいます。
粘土板は通貨というよりも、大麦が何個貯蔵されているとか、油を何ℓ購入したなどの経済取引をメモする役割をメインに使われていたようです。
こちらはもう少し後の時代の粘土板で、文字や記述形式がより洗練されていますね。大英博物館に行った際に撮ったモノです。
債権の管理に使われていたトークンは、貸し手によって転用する形で支払い手段として使われていたのでしょうか?もしそうなら、これらの債権トークンは、最古のコインといえそうです。
お金の本質は負債であるという見方からも、個人的に可能性は低くはないと思っているのですが、その明確な根拠となるようなソースには未だ出会えていません。
話は変わりますが、仮想通貨に詳しい人からすれば、これらの債権トークンはCompoundやAaveのCトークンを彷彿とさせるのではないでしょうか?粘土板は世界最古の台帳(レッジャー)であるためブロックチェーンの原初の姿とも言えます。w
ハンムラビ法典に記された銀行制度と、当時使われていたお金
メソポタミアの時代から、ついに貴金属である銀が銀貨として人々によって使用され始めます。嬉しいことに、その証拠はしっかりとハンムラビ法典に記されていました。
以下、「金融の世界史とバブルと戦争と株式市場」から一文を引用します。
銀を貸借契約に供したときには、銀1シケルにつき6分の1シケルと6シェの利息を徴収する。
これは大体金利20%で、現在の消費者ローンと大体同じ水準であることがわかります。粘土板には、一般的な支払いに銀貨が使われていたというデータも残っています。
他にも、ハンムラビ法典には法を犯した際の罰金として銀貨を支払わなくてはならないとの記述があります。ただし、この頃の銀貨は政府によって鋳造された「法定通貨」ではなく、天秤で測った重さで価値が決まる「秤量貨幣」だった点に注意が必要です。
結局「最初のお金」は何だったのか?
「最初のお金は何だったのか?」という疑問に関してですが、文書が残っていない歴史を知らない限り判断することはできなさそうです。個人的には畜牛などの家畜か麦などの穀物だったのだろう、と思っていますが、もう少し明確な根拠が見つかると良いと思いました。
そしてそもそも、「お金」の定義に関しても曖昧のままです。極論これは人それぞれの話で、価値の保存ができて一度でも支払いに使われているならお金、と考えるのもありだと思います。(僕はこれです)
今自分たちが使っているフィアット(不換紙幣)のレベルを要求するのであれば、メソポタミア以前の家畜や銀貨などのコモディティ・マネーもお金ではなくなります。
一般的に貨幣に求められる機能としては、SoV(Store of Value : 価値の保存)・Medium of Exchange(価値の交換)・UoA(Unit of Account : 価値の尺度)の3つが挙げられますが、ある資産がどの程度これらの用件を満たしているかは一つの基準になりそうです。
ところで仮想通貨界隈でも、ビットコインやイーサがお金(マネー)かそうではないかで界隈の人同士が激しく議論しているのをよく見かけます。”ブロックチェーン”という言葉の定義論争と似ていて、人の数だけ答えが存在する例のアレです。w
おまけ:その後のお金(紀元後まで)
ここからは、自分が気になったお金シリーズをいくつか簡単に紹介していければと思います。
古代中国の貝貨(ばいか) 1200 BC
貝殻がお金として使われていたというのは比較的よく知られた話かもしれません。中国では紀元前1200年頃にこの貝貨が各地で流通していたとされています。
古代中国の青銅ナイフ 1000–500 BC
古代中国では貝殻の他に、青銅のナイフや鋤(すき)など、様々なタイプの工具が通貨として使用されていたとされています。
この後、キングダムで有名な秦の時代(200 BC頃)になるとコインが使われ始めるのですが、その際も材料は金や銀ではなく銅(銅貨・銅銭)だったそうです。(*参照)
最初の法定通貨「リュディア・コイン」670BC
メソポタミア以降、中東・西アジア地域では秤量貨幣である銀貨が主な通貨として長らく使用されていましたが、リュディア・コイン(別名:エレクトロン貨)は、金銀合金でできた世界最古の鋳造貨幣です。
硬貨の表面にはリュディア王国の象徴であるライオンが描かれ、重量(単位:ステタル)が刻印されており、裏面には2つの四角または長方形の極印(品質の保証、偽造防止のための印)が刻印されています。(*参照)
この写真を見る限り、どれが重量の表記なのかイマイチ分からないのですが、、重量別に数種類のコインがあって、これ以降重量を測る手間(と不正のリスク)を排除することに成功したといいます。
マケドニア&古代ローマのプロパガンダ・コイン
リュディア硬貨はライオンの絵柄ですが、この頃は他にも様々な絵柄のコインが作られていました。例えば牛や馬、麦、マグロ、タコ、鳥などなど結構色々な種類の動植物が描かれたコインがあります。
しかし数十~百年経つうちに、コインの絵柄は動植物から為政者の肖像画へと変わっていきます。プロパガンダコインの誕生です。300BC頃のアレクサンドロス大王や、古代ローマ(50BC頃)の独裁官ユリウス・カエサルのコインなどはその代表例です。
ここまでが紀元前までの色々なお金です。日本の硬貨は偉人の顔の絵柄を使ってはいませんが、政府が鋳造する硬貨となると、現在僕たちが使っている現金ともう大きな違いはないように思えます。
そして時は流れて2008年、匿名の人物によってインターネット上に公開されたある論b(長いので今回はここまで…)
●参考文献
・Origins of Money and of Banking
・ACCOUNTING AND MONEY IN ANCIENT MESOPOTAMIA
・List of historical currencies